受肉ー「フィード・カテキズム」シリーズ4サンプル

Incarnation

8日中 4日

イエスが完全に神であり、完全に人であったことに何の意味があるのか?

イエスは罪の堕落を持たずして、神に似せて造られた人として生まれた。それは私たちの人間性の中に神の姿を回復できるようにするためである。

神が全能であるなら、人にならずに世を救えなかったのだろうか? 人間の弱さを知っていることを考えれば、もっと良い方法があったのではないか? 受肉、つまりイエスが人となることは必要だったのか? イエスは無力な幼子として生まれるために、天を去らなければならなかったのだろうか?

これらは、非常に答えるのが難しく、かつ興味をそそる質問だ。

アダムとエバの罪の後、生まれてきた全ての人は罪によって損なわれていた。だが、「もともとそのように造られたわけではなかった」のである。「フィード・カテキズム」シリーズの2「堕落」では、アダムとエバは、いかに自分たちがすべきことをしなかったかについて述べた。彼らは神に背き、罪がこの世に入った。そのため彼らの子どもたちが罪深い性質を持って生まれるが、神は救われる道を開くと告げられた。そしてイエスという人物を通して、それを実現させたのである。

罪はアダムとエバと神の間にくさびを打ち込み、私たちと神の間にもくさびを打ち込んだ。しかし、全てがうまくいかなくなってしまったあの園で、神はアダムとエバに回復の道を開くと約束された。つまり、神は私たちを罪と死から救い出し、私たちが永遠に神と共にいられるようにするだろうということだ。その道こそがイエスであった。

イエスは私たちを贖(あがな)い、回復するために地上に来られた。イエスは十字架で死なれ、よみがえられたとき、永遠に罪と死に打ち勝ったのである。

イエスにおいて、私たちは全ての罪から赦(ゆる)されるだけではなく、神の子どもとなり、永遠に神の家族の一員となる機会をいただく。神の子として、私たちには、父なる神と御子と共に過ごす永遠のいのちの希望がある。

今日、イエスの生涯、死、そして復活を通して与えられた救いの賜物について、黙想する時間をとってみよう。そしてイエスの似姿になれるよう、神に願い求めよう。

この読書プランについて

Incarnation

「フィードのカテキズム」は、一連の質問と回答で構成されており、個々が聖書を探求し、神の物語を発見できるように設計されています。これは、さまざまな背景を持つ神学者や教会の牧師たちによって執筆され、歴史的な偉大なカテキズムからも多くの影響を受けています。 これは全9部作の「フィード・カテキズム」シリーズの第4部です。内容は、創造、堕落、契約と律法、受肉、贖(あがな)い、恵みと赦し、聖霊、教会、そして新しい創造から成り立っています。

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この読書プランを提供してくださった、ワンホープ(OneHope)に感謝します。詳細についてはこちらのウエブサイトをご参照ください。 http://feed.bible/