「エバの娘たち」パート1 ― 聖書の女性に学ぶ人生のレッスンサンプル

ラハブ
自己紹介をさせてください。
ある人は私を「アニータ」と呼び、別の人は「アヌ」と呼びます。夫にとっては「ベイブ」、友人の中には「ママ」と呼ぶ人もいます。
ニックネームは、どのようにしてついたかに関わらず、一度つくとなかなか消えません。
聖書にも、このことを他の誰よりもよく理解していた人物が登場します。名前はラハブ、娼婦のラハブとして知られています。
ヨシュア記 2章でラハブが登場すると、著者は当時の職業を述べることに躊躇しません。そんな彼女が、運命の皮肉な巡り合わせでイスラエルの民を助け、自分の町エリコの征服に関わることになったのです。ラハブはイスラエルから遣わされた地を探る者たちをかくまい、王の警備兵たちを無駄な追跡に向かわせたあと、探る者たちを無事に逃がしました。
そのような人は本当に名を残すことができ、ラハブもそうしました。残念ながら彼女には「娼婦」という古いレッテルがついたままでした。
ヨシュアがエリコを滅ぼす命令を出した際にも、「娼婦のラハブと、彼女の家にいる者は生かしておけ」と指示が出されます。新約聖書では、アブラハムと並んで信仰の人として取り上げられていますが、そのときにもやはり「娼婦」という肩書きが添えられています。
けれど、古いレッテルがラハブのすべてを語っているわけではありません。
このラハブこそ、私たちの救い主であり王であるイエス・キリストの系図に名を連ねている女性なのです。
これぞ大逆転です。
私たちも、ときに過去の失敗や誤解の重荷を緋文字のように感じることがあります。人々がその時代のことを蒸し返すこともあるでしょう。でも、それは物語の一部であって、すべてではありません。
物語は初めであり終わり、アルファでありオメガである、日々を知り、すべてを通して愛してくださる御方によって、今もなお綴られているのです。
人間がつけたレッテルに人生を左右されないでください。気まぐれな人々による一時的なものでしかありません。ある時は愛してくれるけれど、次の瞬間にはそうでもない……そんな経験、あるかもしれません。私にもありますし、イエスも同じように経験されました。
本当の姿を定めるのは神です。神は、過去がどんなものであっても、信仰によって義とし、用いてくださいます。聖書はその証であふれています。そして、ラハブ──娼婦であった彼女も──そのひとりなのです。
~ Anu
この読書プランについて

旧約聖書の女性たちの物語から、現代を生きる私たちへの生き方のヒントを学びましょう。
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