聖霊に満たされて歩む7つのしるしサンプル

聖霊が臨んでおられたとき、サウルは敵に対しても命を奪おうとはせず、見逃して赦しました。その頃のサウルは、敵に対しても親切で、寛容で、思いやりにあふれていたのです。それは聖霊に満たされた生き方のしるしでした。
しかし後に、聖霊がサウルから離れてしまうと、かつての友人や家族さえも殺そうとするようになりました。最初の戦いで勝利を収めたあと、人々はサムエルに近づき、かつて「サウルが王になるのか」と不満を言っていた人々を殺すよう求めました。けれどもサウルはそれを聞いて、「きょうはだれも殺してはならない」と命じたのです。主がイスラエルを救ってくださったことを、サウルは心にとどめていたのです。──それが、神の霊が離れた後の姿とはまったく対照的でした。聖霊を失ったサウルは、自分のために命がけで戦ってくれた義理の息子ダビデを、十四年もの間、命を狙って追い続けるようになってしまったのです。
聖霊は、私たちが人からの攻撃的な言葉や行動にすぐ反応してしまうのではなく、一呼吸おいて、神の方法で応答できるよう助けてくださいます。聖霊に満たされるとき、私たちは、批判されたり、攻撃されたり、おとしめられたり、無視されたりしたときに湧き上がる否定的な感情を整理し、神に喜ばれる応答へと導かれるのです。
人は本能的に、やり返したくなり、自分の名誉を守ろうとし、ときには本来戦う必要のない戦いにまで首を突っ込んでしまうものです。それが「反応」です。聖霊がともにおられないとき、私たちは敵からの痛みに対して反応しがちです。しかし、聖霊に満たされているとき、私たちはその痛みのただ中でも、神の心にかなった応答ができるようになります。
ともに祈りましょう。
「聖霊さま、私の内にある暗い夜を、あなたの明るい昼に変えてください。」
この読書プランについて

すべてのクリスチャンは、救いによって聖霊との交わりを与えられています。けれども、すべての人が、聖霊と親しく交わっているわけではありません。交わりと、親しい交わり――この二つのあいだには違いがあります。親しい交わりは、自分の人生を聖霊に明け渡すときに初めて生まれるものです。
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