聖書の語る正義とは?サンプル

What is Biblical Justice?

4日中 4日

言葉だけでは足りない

どんな家にも、建物全体を支える土台が必要です。聖書はこう語ります。「義と公平はあなたのみくらの基」(詩篇 89編14節)。私はこのみ言葉から、聖書的な「公義」とは何かを考えるようになりました。それは、「神の道徳的な律法の支配を、社会において公平かつ偏りなく適用すること」だと言えるでしょう。

「義」は、神が聖書を通して人間に示しておられる基準を指します。一方「公義」とは、「正しいこと」あるいは「あるべき姿」を意味します。この二つが結びつくことで、聖書的な公義とは、神の基準を互いに対して具体的に行うこと、すなわち実践となります。ですから、私たちは公義について語るだけでなく、実際に「行う」ことが求められているのです。聖書もはっきりと「ただ公義をおこない」(ミカ書 6章8節)と命じています。

聖書的な公義は、特に自分では守る術のない人々のために働くことに根ざしています。なぜなら、そのような立場の人たちこそ、不当な扱いを受けやすいからです。聖書は、貧しい人、やもめ、孤児、そして異邦人(外国人)を心にかけるようにと教えています。この教えはまた、人種的な理由によって制度的な差別や抑圧を受けている人々にも当てはまります。簡単に言えば、私たちは不当な扱いを受けやすい人々を守り、その幸せと回復のために積極的に働くようにと、神に求められているのです。

ガラテヤ人への手紙 6章10節には「機会のあるごとに、だれに対しても……、善を行おうではないか。」とあります。つまり、公義は特定の誰かのためだけでなく、不当に扱われているすべての人に向けられるべきものです。神の基準に反するような状況を目にしたとき、私たちはそこにとどまらず、信仰者として行動を起こす責任があります。語るだけでは足りません。私たちは、公義を行うように召されているのです。

あなた自身の生活の中で、「公義をおこな」うためにできる具体的な一歩は何でしょうか?

この読書プランが、あなたにとって励ましとなりましたら幸いです。さらに深く学びたい方は、こちらをご覧ください。

この読書プランについて

What is Biblical Justice?

今、公平という言葉に多くの関心が寄せられている、そしてそれは当然のことだろう。社会の繁栄にとって、公平は非常に重要だからだ。だが、公平の意味を知らないばかりに、否定する人も多い。とはいえ、個人の自由を守り、個人の責任を促すという、正しい公平の見解がある。この4日間の読書プランでは、トニー・エバンス博士が真の聖書的公平について解説します。

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この読書プランを提供してくださった、The Urban Alternative(トニー・エバンス)に感謝します。詳細については、こちらのウェブサイトをご参照ください。 https://tonyevans.org