贖(あがな)いサンプル

世にとってイエスの死は、どのような意味があるか?
イエスが死なれたので、罪は打ち破られ、信じる者は皆、罪赦(ゆる)され、神と和解できる。
あなたは英雄の物語を追っていると想像してみよう。それは、愛と冒険、謎に満ちたわくわくするドラマで、いつもハラハラ、ドキドキさせられる。しかも更に良い展開になっていく。わくわく感は至るところにある。そして突然……主人公が「死んでしまう」!一体何が?
いったいどうしたら、「このような」話になるのだろうか?いったいどうすれば、こんな話が「良い」物語と言えるのだろうか?
更に衝撃なことに、その物語は主人公の死が、輝かしい「勝利」の瞬間、「愛」の瞬間、そして「救い」の瞬間として描かれているとしたらどうだろう?
どんな説明がつくというんだ?
しかしそれは、もちろん聖書の物語である。輝かしい勝利の瞬間、愛の瞬間、救いの瞬間は、イエスが十字架上で死なれた時に起こる。
しかしなぜ、そのような話になるのだろうか?イエスの死は何を成し遂げるのだろうか?
あなたが物語の特別なカギを見逃してしまうと、いかにイエスの死が良い知らせであるかということを理解するのがとても難しい。今日の本や映画には、問題を抱えた悪党や邪悪な帝国に打ち勝つヒーローの物語がありふれているが、「この」物語、「私たち」の物語における主な問題は罪である。そして罪に対する唯一の解決策は、誰かがそれに対処することである。具体的には、罪に対する唯一の解決策は、神が罪を犯した人間を罪に定め、死をもってあがなわせることである。
そして「それが」キリストの十字架で起こったことだ。そしてそれが、イエスの死で起こったことだ。つまり、私たちのために身代わりになってくださった。パウロがローマ人への手紙8章3節で言っているように、イエスを信じる者は皆、罪赦され、永遠の命を得られるために、神は、御子イエスの肉をもって、この世の罪を全て罰せられた。
このようにして、死が最高の知らせとなったのだ。そうやって死が勝利となるのだ。
今日、御子の賜物(たまもの)について、神に感謝する時をもってみよう。
この読書プランについて

「フィードのカテキズム」は、一連の質問と回答で構成されており、読む人それぞれが聖書を探求し、神の物語を発見できるように構成されています。これは、さまざまな背景を持つ神学者や教会の牧師たちによって執筆され、歴史的に偉大なカテキズムからも多くの影響を受けています。 これは全9部作の「フィード・カテキズム」シリーズの第1部です。内容は、創造、堕落、契約と律法、受肉、贖(あがな)い、恵みと赦し、聖霊、教会、そして新しい創造から成り立っています。
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