安息の本当の意味ークリスチャンでいることに疲れたサンプル

安息の本当の意味ークリスチャンでいることに疲れた

3日中 3日

(3)「行いのない信仰」とは

よく「行いのない信仰」という言葉を耳にすることがあります。そんなときによく引用される聖書の箇所が、ヤコブの手紙2章26節(JCB)です。

「たましいのない体が死んだものであるように、行いのない信仰は死んだも同然です。」

でも、この御言葉は文脈を離れて読むと、誤解しやすい箇所です。ヤコブは、貧しい人を差別したり、愛のない態度をとる人たちに向けて、この言葉を伝えています。つまり、「信仰を持っているなら、愛の行動は自然にあらわれる」ということが大切なのです。だから、「今休んでいる=信仰がない」という風に思う必要はありません。

私たちは、福音を聞いて信じたとき、すでに神さまの恵みで救われています(エペソ人への手紙2章8節)。そして聖霊さまを受けて、新しい人へと変えられています(ガラテヤ人への手紙3章2〜3節、コリント人への手紙 II 5章17節)。信仰による行いも、神さまが力と愛と志を与えてくださるからできるのです(ピリピ人への手紙2章13節、エペソ人への手紙2章10節)。

だから、今「何もできない」と感じる日があっても、それは全く悪いことではありません。行動する時があれば、休む時もあります。すべてには神さまの完璧なタイミングがあります(伝道者の書3章11節)。

これからは、聖書を読むことや祈ることを、「頑張らなきゃ」ではなく、神さまとのあたたかい交わりとして、心から喜んでできるように祈っていきましょう。

あなたと神さまの関係がゆっくり回復され、心から休める日々が訪れますように。心を込めてお祈りしています。

この読書プランについて

安息の本当の意味ークリスチャンでいることに疲れた

信仰生活の中で、「クリスチャンだから、もっと祈らなきゃ」「聖書をたくさん読まなきゃ」と思いすぎて、かえって心や体が疲れてしまうことはありませんか? ときには、「何もできない自分」を責めてしまい、さらに元気をなくしてしまうこともあるかもしれません。 中には、頑張りすぎてしまい、しばらく寝込んでしまった…そんな経験をした方もいるでしょう。 でも、神さまは私たちが何かできるから愛してくださるのではありません。 何もできない日も、ただ横になっている日も、神さまの愛は変わりません。 このプランでは、 (1) あなたはそのままで愛されているということ (2) 聖書が語る「休む」ことの大切さ (3)「行いのない信仰」の本当の意味 を、一緒に見ていきましょう。 疲れた心が少しずつ回復し、安心して神様の愛の中で休めますように。

More

このプランを提供してくれた Matthew 13:23 Ministries に感謝します。詳細については、次のWebサイトをご覧くださいhttps://matthew1323ministries.org/homejp