安息の本当の意味ークリスチャンでいることに疲れたサンプル

(2)聖書が語る「休む」ことの大切さ
では、「休む」ということはどういうことでしょうか。
私は、休むことは祈ることにとても近いと思っています。ある牧師先生がこんなことを話してくれました。
「なぜクリスチャンは目を閉じ、手を組んで祈るのでしょうか。目を閉じなくても、手を組まなくても祈ることはできます。でも、目を閉じるのは心を神さまに向けるため。手を組むのは、自分のすべきことをいったん置いて、神さまに集中するためなのです。」
現代の私たちは、休みたくてもなかなか休めない生活を送っています。やらなければならないことが多く、心も体もいつの間にかいっぱいになってしまいます。だからこそ、神さまは私たちのために「休むこと」を創造されました(創世記2章1〜3節)。
私たちの心を、器に入った水に例えてみてください。
器に水が入りきるまでは溢れませんが、それ以上注ぐと溢れてしまいます。新しい水を入れるためには、古い水を減らさなければなりません。でも、そのまま放置しても水はなくなりません。私たちが手放さない限り、器は新しいもので満たされないのです。
私たちも同じです。抱えきれない重荷を持ち続ければ、心も体も疲れきってしまいます。「休む」ことは「何もしない」ように見えるかもしれませんが、実は神さまに心を向ける祈りの時間です。一旦すべての重荷をイエスさまに委ね、明日を喜びと感謝を持って歩むために、今日を休んでみませんか。
重い束縛を受けて、疲れはてている人たちよ。さあ、わたしのところに来なさい。あなたがたを休ませてあげましょう。(マタイの福音書11章28〜30節、JCB)
器の古い水を新しい水に入れ替えるように、私たちの重荷も、創造主である神さまにゆだねて新しくしていただきましょう(コリント人への手紙 II 3章18節)。そうすれば、クリスチャンであることが重荷ではなく、恵みとして味わえるはずです。
今日、あなたが本当の意味での「休み」を経験できますように。
この読書プランについて

信仰生活の中で、「クリスチャンだから、もっと祈らなきゃ」「聖書をたくさん読まなきゃ」と思いすぎて、かえって心や体が疲れてしまうことはありませんか? ときには、「何もできない自分」を責めてしまい、さらに元気をなくしてしまうこともあるかもしれません。 中には、頑張りすぎてしまい、しばらく寝込んでしまった…そんな経験をした方もいるでしょう。 でも、神さまは私たちが何かできるから愛してくださるのではありません。 何もできない日も、ただ横になっている日も、神さまの愛は変わりません。 このプランでは、 (1) あなたはそのままで愛されているということ (2) 聖書が語る「休む」ことの大切さ (3)「行いのない信仰」の本当の意味 を、一緒に見ていきましょう。 疲れた心が少しずつ回復し、安心して神様の愛の中で休めますように。
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このプランを提供してくれた Matthew 13:23 Ministries に感謝します。詳細については、次のWebサイトをご覧くださいhttps://matthew1323ministries.org/homejp