私の終わり ― そこからはじまるサンプル

選ばれる資格がない
パウロがダマスコへ向かう道で出会った出来事を覚えているだろうか。神はサウロを、キリスト教運動のリーダーのパウロとして新しく造り変えた。パウロはユダヤ人以外に福音を伝えた最初の伝道者となり、最初の偉大な神学者ともなった。
もし誰かがリーダーの資格を欠いているとすれば、それは信者を殺し、教会を探し取り壊す任務を率いていたパウロではなかっただろうか。
イエスがパウロを必要としていたわけではない。すでに教会は人々をキリストに導き、リーダーたちも育ちつつあった。にもかかわらず、神はこのような劇的な展開をもって、何かを伝えようとしておられた。そうとしか考えられない。
そのメッセージとは何だったのか。そしてそれは、私とあなたにどんな意味があるのだろうか。
それはつまり、神が私たちを「失格」とされることはない、ということだ。もし、神が誰かを「もう遅い」と判断されると、あなたが思っているとしたらそれほど悲しい勘違いはない。
ペテロも、そう感じたのではないだろうか。イエスに選ばれ、長い時間を共に過ごした男。イエスが「この岩の上にわたしの教会を建てよう。」とまで言った相手だ。そんな名前を授けられて、悪い気のする者はいないだろう。
だが、ペテロはまさにイエスに言われた通りの失敗――危機の瞬間にイエスを知らないと言ってしまった。そしてその後、元の漁師としての生活に戻り、自分はもう終わったと思った。イエスはきっとこう言いたかったんだ、「結局お前には無理だったんだよ。数時間後に自分がやらかす様を、よく見ておけ」――そんなふうに受け取っていたかもしれない。
ペテロは漁に出た。彼にとって唯一知っている、もうひとつの生き方だった。「もう終わりだ。俺の番は過ぎた。チャンスは来たけど、自分でつぶしてしまった」――そんな思いがよぎっていたかもしれない。
早朝、舟の上で、ペテロは終わってしまった夢を思いめぐらせていた。イエスが自分に資格を与えてくれたことは奇跡だった。それを自分で失ったことは、悲劇だった。
ふと顔を上げると、岸辺に人影があった。思いもよらず、それはイエスだった。手を振っている。「まだ働きがあるのに、なぜ舟の上にいるんだ?」と招かれている。
――「それでも、私はあなたを選ぶ」
いまも背負い続けている過去があるだろうか。姦淫(かんいん)? ダビデ王に聞いてみればいい。うそ? 欺き? アブラハムやイサクも、そうしたことを経験済みだ。過去が汚れている? 神は娼婦ラハブを選ばれた。怒りっぽさや短気? ヤコブとヨハネも神の計画の中に数えられた。人間関係での失敗が多い? 井戸にいた女は、その苦しみを誰よりも知っていた。神はそんな彼女に、イエスを遣わし、彼女だけのために言葉をかけられた。
――もしかすると、今日はあなたの番かもしれない。イエスは、あなたに語りかけておられる。あなたの「資格」には何の関係もない。大事なのは、「自分の終わり」にたどり着いているかどうかだ。なぜなら、そのときこそ、神が最善のかたちであなたを用いられるときだから。あなたが何も差し出せなくても、ただ神の恵みによって、神はあなたを選んでくださる。
この読書プランについて

この読書プランは、『Not A Fan』(好きじゃない)の続編にあたるカイル・アイドルマン(Kyle Idleman)の著書をもとにしています。あなた自身の「終わり」にたどり着くようにと招かれています。なぜなら、そこで初めて、イエスが内側から私たちを新しくしてくださる生き方を受け入れられるからです。
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