アドベント(待降節)の賛美サンプル

喜びとは。
発見の喜びに勝るものはありません。
「新しいレストランだ!」
「新しいテレビ番組だ!」
「新しいバンドだ!」
「休暇がまだある!」
「遺産が数億円転がり込んできた!」
どの時代でも、喜びは最も強く、誰にとっても共通した心の原動力です。喜びのため、幸福のためなら、人はどんなことでもします。本当に良いものを発見すると、反応せざるを得ません。自分の中から何かが引き出される感覚です。発見の瞬間、本当に良いものに対する瞬間的なときめきが、喜びなのです。
人はたった一つの理由で、喜びの機会を見逃してしまうことがしばしばあります。それが、恐れです。
クリスマスの物語は、真に良いものについての物語です。恐れの中で神の言葉を信じるときに起こる物語です。それはつまり、喜びを発見することであり、そしてその喜びは賛美へとつながります。
ルカによる福音書 2章8節
……羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。
羊飼たちは、この大きな喜びの良い知らせを最初に聞きました。羊飼たちはごく普通の人々でした。羊飼たちは仕事中であり、それはありふれた日常の中で起きました。これらの詳細が重要です。
神は人々の今いる所に来られます。何も着飾る必要はありません。神は世界の片隅にある住所を教えて、自分を見つけよと言うわけでもありません。神があなたを見つけます。一番来そうにない場所にこそ、来てくださいます。
そして、主が来てくださるのがあなたにはわかります。
ルカによる福音書 2章9節
すると主の御使が現れ、主の栄光が彼らをめぐり照したので、彼らは非常に恐れた。
主の栄光があなたを包むと、疑う余地がありません。そこには付随条件があります。それは恐れです。主の栄光と恐れは切り離せません。彼らは非常に恐れました。
私たちが恐れを厄介もののように避けるには、理由があります。誰が好き好んで恐れるでしょうか? しかし恐れを避けようとすることで、思いがけない結果を引き起こしてしまいます。
人は恐れに対する嫌悪感によって、恐れを通してしか聞こえないメッセージに耳をふさいでしまいます。私たちは恐れを避けますが、そうすることで喜びを見逃してしまうのです。
ルカによる福音書 2章10節a
御使は言った、「恐れるな……」
恐れは何よりも私たちを今この瞬間に引き戻します。その瞬間に注意を向けさせます。思いもよらないときに、びっくりするような騒音を聞くように。突然、あなたは耳を澄ませることでしょう。
人はしばしば、恐れから身を隠そうとしたり、恐れに対して無感覚になろうとしたりします。また恐怖心を和らげるために、ありとあらゆる可能な状況を予測し、コントロールしようとさえします。しかし、もし私たちを今この瞬間に引き戻し、神に耳を傾けられるように、神が恐れを与えているとしたら、どうでしょう?
畏怖(いふ)の念をもって神に耳を傾けるなら、とても素晴らしいメッセージを受け取るのです。だから恐れないでください。
ルカによる福音書 2章10節b
……見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。
喜びは、ただ恐れるものがないということ「だけ」ではありません。喜びとは、自分が最も心から願っていたことが実際にかなう、その瞬間を見ることなのです。
さあ見てください! あなたが証人となるべき良い知らせがあります。それを見れば、大きな喜びになるでしょう!
ルカによる福音書 2章11節
きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ、救主、主なるキリストである。
よく見てください! 神はここにおられます。あなたを永久に救うために来られました。約束を果たすために来られたのです。悪の日々は数えられました。悲しみはなくなります。正義がついに実現します。恐れはもはやありません。あなたが忘れたら、神が思い出させてくれます。釈明する必要はありません。罪について答える必要もありません。あなたが生涯、待ち望んでいた決定的なことばが語られたのです。
世界が待ち望んでいた、 大きな喜びがついに訪れたのです。
しかし、それは、あなたが予想したものとは違って見えるかもしれません。
ルカによる福音書 2章12節
あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである。
宮殿の中ではありません。
きらびやかさはなく、壮大さもありません。
高級デパートのショーウインドーの中にもありません。
大きな家や立派な車もでてきません。
上昇志向の人が口にする、空虚な約束の中にもありません。
金持ちや有名人が送っていそうな、夢のような生活でもありません。
より良い人間になろうとする、中途半端な自分の試みにさえもありません。
小さく見逃しやすいですが、これこそあなたがたに与えられるしるしです。
それは、最もありそうにない場所に隠されているのです。
その飼葉おけの中に、これまで望んできたすべての喜びがあるのです。
ルカによる福音書 2章15~16節
御使たちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼たちは「さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか」と、互に語り合った。 そして急いで行って、マリヤとヨセフ、また飼葉おけに寝かしてある幼な子を捜しあてた。
見つけた後、羊飼たちは危険を冒しました。この知らせに賭(か)けたのです。
ここからが、私たちにとって難しいところです。
私たちの喜びを求める欲望を、「常に」利用しているのが現代のマーケティングです。人々の思考は、偽物の約束によって混乱しています。つまりこういうことです。「この流行、この人間関係、この出世コース、この新しい携帯電話、この政治指導者、この新しい子育て方法を手に入れれば、……喜びが手に入る!」
信じた私たちは、こうしたものに手をのばしてしまいます。何度も何度も、私たちはあまりにも小さな約束に多額の投資をし、失望させられます。大金を費やしても、見返りはほとんどありません。政治家が就任しても、少したつと、何かが欠けていると感じます。良い知らせを聞くのが難しいのも無理はありません。懐疑(かいぎ)的になるのも無理はありません。
しかし、神を疑う心配はありません。御言葉(みことば)は私たちを失望させません。御言葉は「大きな喜びの良い知らせ」です。これはある出来事に関する知らせです。
この良い知らせ、この驚くべき発見に人生を賭けると、私たちは大きな喜びを見いだします。そしてその喜びから、賛美が自然と湧き上がります。
ルカによる福音書 2章20節
羊飼たちは、見聞きしたことが何もかも自分たちに語られたとおりであったので、神をあがめ、またさんびしながら帰って行った。
喜びは、いつも賛美を導きます。小さな喜びでも、たとえばおいしい食事など、思わず「ああ、おいしい!」と声に出してしまいます。だとしたら、この究極の喜びは、どれほど賛美をもたらすでしょう。
今年のクリスマスは、今いる場所で、畏怖の念をもって、恐れずに御言葉(みことば)を受け止めてみましょう。この良い知らせを見、自分の大きな喜びを見つけましょう! 危険を冒し、それにすべてを賭けるのです。
決して失望することはないでしょう。喜びの中で、賛美があふれ出るでしょう。
……
祈り
「神さま、恐れの中でも、御言葉(みことば)を信じられますように。私が喜びを見つけ出せるよう、力を貸してください。」
実践
あなたがあまりにも小さなことに多く投資してきた場面を書き出してみましょう。この良い知らせにしっかり耳を傾け、恐れることがないよう、神に助けを求めましょう。
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この読書プランについて

希望、愛、平和、喜び。これらの言葉は、クリスマスの時期によく耳にしますが、私たちはその本当の意味を覚えているでしょうか? クリスマスの物語は、神がイエスの誕生を通して歴史にどのように介入されたかを描いています。この出来事によって、マリヤやヨセフ、羊飼たちの人生は大きく変えられました。彼らは希望、愛、平和、そして喜びを見いだしました。イエスを通して、私たちもまた、これらのものを見いだせるのです。一緒に、そのすばらしさを思い起こしましょう。
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