アドベント(待降節)の賛美サンプル

平安とは。
ヘブル語で「平安」を意味する言葉は、「シャローム(shalom)」です。「欠けるものが何もない、すべてが整っている」という意味です。シャロームは、内にも外にも安らぎと調和があり、不安やストレスのない状態を指します。聖書的には、未来志向の言葉です。
「シャローム」の君の誕生は、さぞかし平和だっただろうと思うでしょう。
そう思うかもしれません。
マタイによる福音書 1章18~19節
イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。母マリヤはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重になった。夫ヨセフは正しい人であったので、彼女のことが公けになることを好まず、ひそかに離縁しようと決心した。
地上でのイエスの父であるヨセフについて、ほとんど知られていません。彼は大工で、自ら汗を流して働く職人です。学者でもなければ、商売人でもなく、ましてや祭司でもありません。誠実に働き、家族を支えるような男なのです。
婚約者が妊娠したとき(まだ、それが聖霊によることを知らない)、ヨセフの反応は模範的です。おそらく傷ついたであろうにもかかわらず、「彼女のことが公になるのを好まず」、騒ぎ立てずに穏便に解決しようとしました。マリヤを世間の目から守ろうとしました。ヨセフは温厚で、悪と思われるものに善で報いました。本当に優しい人でした。
物語のこの時点で、ヨセフは決して平穏ではなかったのです。
マタイによる福音書 1章20a節
彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使が夢に現れて言った、
ヨセフは夜通し、「このことを思いめぐらしていた」。夢さえ、その状況に支配されていたのです。主の使がつかわされて、夢の中に現れたとき、ヨセフは夢の中でも不安でいっぱいでした。
マタイによる福音書 1章20b~23節
「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」。すべてこれらのことが起ったのは、主が預言者によって言われたことの成就するためである。すなわち、「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは、「神われらと共にいます」という意味である。
イエスの誕生物語には、主の使が目立って登場します。彼らはまばゆいばかりの輝きを放ちながらやって来て、「大きな喜びの良い知らせ!」をもたらすことで有名です。しかし、ヨセフにとって、この知らせは確かに良いものではありますが、今、ここにいるヨセフにとって、その責任はとても大きなものでした。
ヨセフは結婚を進めます。マリヤとその息子は、とても重要な存在です。マリヤは預言者が証した人です。イエスは民を罪から救います。それらは巨大な運命です。
しかし、ヨセフはどうでしょう? 興味深いことに、ヨセフ自身の人生や影響したことは何も書かれていません。まるでヨセフが残したものは、処女とその息子という二人の人生に縛られているかのようです。
「無理に英雄になろうとすることはないよ、ヨセフ。」ヨセフの友人たちがこう言ったのが想像できます。「ただのバカげた夢だったんだ」。
マタイによる福音書 1章24~25節
ヨセフは眠りからさめた後に、主の使が命じたとおりに、マリヤを妻に迎えた。しかし、子が生れるまでは、彼女を知ることはなかった。そして、その子をイエスと名づけた。
神はヨセフにこれらのことを命じ、ヨセフはそれを実行しようとしました。戸惑いや試練、不安、挑戦、そして恥(つまり決して平和的ではない状況)を通して、平和の君を育てるのです。
もし、私がヨセフなら、いくつかの質問をするでしょう。しかし、ヨセフは何も尋ねず、神を信頼して従います。
実際、イエスの生涯の初期に登場する人物の中で、ヨセフは主の使と最も顔を合わせる機会が多く、何度も、主の使たちが難題を持って現れます。ヨセフは何度も信頼し、従います。実際に聖書で見てみましょう……
マタイによる福音書 2章13~14節
彼らが帰って行ったのち、見よ、主の使が夢でヨセフに現れて言った、「立って、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。そして、あなたに知らせるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そうとしている」。そこで、ヨセフは立って、夜の間に幼な子とその母とを連れてエジプトへ行き、
マタイによる福音書 2章19~21節
さて、ヘロデが死んだのち、見よ、主の使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて言った、「立って、幼な子とその母を連れて、イスラエルの地に行け。幼な子の命をねらっていた人々は、死んでしまった」。そこでヨセフは立って、幼な子とその母とを連れて、イスラエルの地に帰った。
人は懸命に努力して、何らかの影響力をもった、意味あるものを残そうとします。そうすることで自分なりの平安を得ようとします。ですが、自分の力で、永遠に意味のある何かを生み出そうとしても、多くの不安やストレスに苛(さいな)まれ、ほとんどの場合、「平安」な心は得られません。神は私たちに海を分けるのではなく、その中を進んで行くことを求めています。神はヨセフに自分の結婚や家族について世間に説明するよう求めていません。つまり、神はヨセフに信頼し、従うよう求めていたのです。
信頼と従順こそが、神が約束を果たすための道です。ヨセフがそうしたように、私たちも平安を見いだすことができます。
ピリピ人への手紙 3章13b~14節と4章7節
ただこの一事を努めている。すなわち、後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。
今年のクリスマスは、神にあなたの運命をゆだねると決意しましょう。ヨセフのようにあなたの受け継がれたものを平和の君に託しましょう。
……
祈り
「神さま、私にあなたの平安を与えてください。あなたを信頼し、従うよう助けてください。」
実践
永遠に意味のある何かを自分の力で生み出そうとしたことはありますか。その方法はどんなものですか?
たとえ困難であっても、神を信頼し従うようにと、神があなたに求めていることは何でしょうか?
この読書プランについて

希望、愛、平和、喜び。これらの言葉は、クリスマスの時期によく耳にしますが、私たちはその本当の意味を覚えているでしょうか? クリスマスの物語は、神がイエスの誕生を通して歴史にどのように介入されたかを描いています。この出来事によって、マリヤやヨセフ、羊飼たちの人生は大きく変えられました。彼らは希望、愛、平和、そして喜びを見いだしました。イエスを通して、私たちもまた、これらのものを見いだせるのです。一緒に、そのすばらしさを思い起こしましょう。
More