信仰によってサンプル

By Faith

5日中 5日

信仰か、それとも恐れか?

今日、3人の勇敢な若者について学ぶためにダニエル書を見ていきましょう。ダニエル書には、バビロンの王ネブカデネザルがエルサレムに来て、包囲したことが記されています。その時代にユダの王であったエホヤキムは主によってネブカデネザルの手に引き渡され、神の宮の器具は持ち去られました。捕虜に加え、この冷酷な王は、最も容姿が美しく、知恵のある若者たちを自分に仕えさせたいと望んでいました。選ばれた者の中には、ダニエル、シャデラク、メシャク、アベデネゴが含まれていました。

ダニエルはネブカデネザルが金の像に関する夢を解き明かしました。ネブカデネザルはダニエルの能力に驚き、ひれ伏してダニエルの神を拝みました。そして、ネブカデネザルはダニエルをバビロン全州の総督に任命し、ダニエルの勧めでシャデラク、メシャク、アベデネゴを指導的な地位に就かせました。

しかしネブカデネザルが新たにみいだした神への崇拝は長続きせず、ダニエル3章にあるようにネブカデネザルは高さ約30メートルの金の像を建てました。楽器の音を聞くときは、すべての人が金の像にひれ伏すようにと王が命令を出しました。だれでもそれを拒めば、火の燃える炉に投げ込まれることになりました(ダニエル書 3章5~6節)。

シャデラク、メシャク、およびアベデネゴが王の命令に従わなかったことをバビロンの博士たちが王に伝えると、王は激怒しました。王が質問すると、彼らは王に「答える必要はない」と答えました。その言葉だけでは、ネブカデネザルの怒りを爆発させるには至りませんでしたが、次に彼らはこう述べました。

もしそんなことになれば、わたしたちの仕えている神は、その火の燃える炉から、わたしたちを救い出すことができます。また王よ、あなたの手から、わたしたちを救い出されます。たといそうでなくても、王よ、ご承知ください。わたしたちはあなたの神々に仕えず、またあなたの立てた金の像を拝みません」。(ダニエル書 3章17~18節)

こう答えることで、彼らは瞬時に死んでしまうほどの燃えさかる炉に投げ入れられることを知っていました。しかし、服や髪の毛一本さえも焼けることはありませんでした。神が彼らを守り、ネブカデネザルは神に驚嘆したのです。

3人の若者の信仰は驚くほど信じがたい信仰ではないでしょうか。彼らはとらわれの中にあって、神を礼拝するユダヤ人でした。そして、王に従わないことに対する罰則についても知っていました。しかし、信仰を揺るがせず、信念を妥協せず、恐れに打ち勝ちました。自分たちの神が自分たちを救えること、救い出されるだろうことを知っていました。たとえ神が救ってくれなかったとしても、偽の金の像に決してひれ伏さないと彼らは決めていたのです。恐れに飲み込まれそうになりましたが、その代わりに、信仰を選んだのです。

私たちがこのような迫害に直面することは、あまりないかもしれません。けれども、ときどき恐れに押しつぶされそうになることがあります。恐れの中で生きているのか、もしくは信仰の中を歩んでいるのか、どのように知ることができるでしょうか。「もしそうなったら」と心配して死ぬほど悩んでしまうなら、恐れにとらわれていることになります。しかし「たとえそうだとしても」と考えられるなら、信仰の中を歩んでいることになります。どんな状況に直面しても、神は人生のどの問題よりも大きな方であることを、心にとめてください。

この読書プランについて

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信仰とは、自分の確信や信頼、そして信念を何らかのものや人に向けることを指します。聖書には、ごく普通の人々が神に対して並外れた信仰を示したすばらしい例が数多く記されています。この読書プランを通じて、聖書に登場するそういった人物のいくつかの例について学び、その人々がどのように信仰によって生きたのかを知りましょう。

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このオリジナルの読書プランはYouVersionによって作成され、提供されました。