御国がきますように。サンプル

Kingdom Come

15日中 13日

祈り

神よ、あなたが私を祝福してくださったので、私も周りの人たちの祝福を願います。今日、祝福する方法を示し、やり遂げる勇気を与えてください。

メッセージ

SNSを見ていて、どうしても見過ごせない投稿があったとします。世の中の悪を指摘したこの投稿に、あなたの心は動かされ、何かしようという気になります。そこで、この問題対して誰も何もしないことにどれだけ憤り(いきどおり)を覚えているかを一言書き加えて、その投稿をシェアしました。それだけで何か良い事をしたかのような気持ちになり、それきりこの投稿には気にも留めません。どこかへ足を運んだわけでも、誰かと会話を交わしたわけでもありません。実際に何もしていなくても、何かをしたような気になっています。

身に覚えはありませんか?このようなことを言い表す新しい言葉が生まれています。「スラックティビズム(slacktivism)」と呼ばれ、英語の辞書には正式に掲載されています。より良い世の中を手っ取り早く、簡単な手段でつくろうという意味の言葉です。もちろん、重要な考えや記事をシェアすることに意味がないわけではありません。とはいえ情報のシェアは、より大きな活動の一歩に過ぎません。実際に何かを始める前に達成感で満たされてしまうと、神が私たちの心に働きかけてくださることや、私たちを通して行おうとされている重要なことを見逃してしまいます。たとえば、おいしいイタリア料理店に行って、メイン料理がテーブルに並ぶ前にパンでお腹をいっぱいにするようなものです。あなたは本当に食べたいものを食べ損ねているのです。

神は私たちを「スラックティビスト(slacktivists)」以上の存在として召しておられます。創世記の前半で、アブラム(すぐに名をアブラハムに変えられる)は、神から祝福を受けることを告げられ、その直後に「祝福の基となる」と告げられました。この祝福という贈り物には目的がありました。神がアブラムを祝福し、アブラムが他の人々を祝福することです。

このようなことは新約聖書でも一貫して見られます。パウロはコリント人への第二の手紙1章3~7節で、神が慰(なぐさ)めてくださるので、少なくともある程度は私たちも他の人を慰められるようになると書いています。しかし、世の風潮はパウロの言葉をこう書き換えたがっているように感じます。「神があなたを慰めてくださったのだから、世の中にたくさんの人が慰めを必要としていることを知らせる投稿をシェアしよう。そして、それを気にも留めないとはひどいことだとあなたが思っていることを伝えよう。」

そのような言葉に乗せられてはいけません。他人の憤りを「リツイート」するだけでは不十分です。私たちは問題の解決にかかわるように神に召されています。それはリツイートよりも大変で厄介なことですが、はるかに満足感が得られます。

あなたのために、ためらわずに犠牲となられ血まで流された神を信じているなら、私たちも他の人のために同じことをするよう求められるのは当然のことです。

神はイエスを通して、私たちに豊かな祝福を与えてくださいました。それと同時に世を祝福するという使命と目的もお与えになりました。私たちは神と協力しこの壊れた世を癒やし新たにするために、時間、あらゆる支援、労力を惜しみなく注ぐように求められています。私たちは祝福するために祝福を受け、変化をもたらすために変えられてきたのです。

黙想

あなたの人生は、命を与えてくださるイエスを伝えるメッセージです。ある人にとっては、そのメッセージがイエスについて知る唯一の機会かもしれません。あなたにとって大切なことが人生にどう表れていますか?神にとって大切なことを、あなたの人生はどう伝えていますか?

今日は少し時間をかけて、これらの問いについて考えて答えを書き留めましょう。あなたにとって大切なものは何ですか?本当に大切なものを反映した生き方を妨げるものが心にあるなら、神が示してくださるように祈り求めましょう。

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この読書プランについて

Kingdom Come

イエスが「豊かな命」を与えてくださるなら、それを手にしたくなるでしょう。私たちは自分を変え、命に満ちた人生を得たいと望んでいます。では、何を変えればよいのでしょう? そして、どのように変えればよいのでしょう?『御国がきますように。(原題 "Kingdom Come")』では、神が招いておられる人生、今までとはまったく違う人生の新しい生き方を探ります。

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この読書プランを提供してくださったNorth Point Publishingに感謝します。詳細については、ウェブサイトをご参照ください。 http://northpoint.org