神を渇望してサンプル

Hungry for God

3日中 2日

神だけが満たしてくださる

私たちは、限りある肉体を持ちながらも永遠の霊的存在として造られ、神を礼拝するように意図して造られました。神のかたちに造られた私たちは、子が親を求めるように、自分を造り、最もよく知っている方とつながりたいと願います。また、自分のエゴ、地位、富、そして名声を超えるような、意味のある目的や使命とともに歩みたいとも願います。神が私たちを造られた目的を果たすために、自分自身をささげて仕え、ほかの人々が神の恵み、あわれみ、平安、喜び、そして豊かな祝福を得られるようにと願うのです。

このように魂の糧を求めるからといって、人生が楽で快適になり、苦しみから解放されるわけではありません。むしろ、神を愛し、仕え、従いたいと願えば願うほど、罪に満ちた堕落した世界で生きることの結果として、苦しみを味わうこともあります。実際、イエスはそのような人々を、山上の説教で語られた八福の教えの中に含めています。「義に飢えかわいている人たちは、さいわいである。彼らは飽き足りるようになるであろう」(マタイによる福音書 5章6節)

一方で、心が満たされないとき、主を待ち望み、苦しみに耐え、信頼するのではなく、物事を自分の力で解決しようとする誘惑に駆られることがあります。本当はイエスに従い、神に近づいて霊的な糧を受け取りたいのに、誘惑に負けて、目先の満足を追い求めてしまうのです。この世のものから霊的な満たしを得ようとすることが、苦しみの大きな原因になっているのではないかと思えます。人は目標や人間関係、財産、成果など、自分を幸せにしてくれると信じるものを追い求めます。しかし、それらを手に入れてもなお、心の奥にはむなしさが残っていることに気づかされます。預言者イザヤは人の霊的な渇きと、自分の力で満たそうとしてうまくいかないもどかしさを、シンプルかつ詩的に表現しました。

「さあ、かわいている者はみな水にきたれ。金のない者もきたれ。来て買い求めて食べよ。あなたがたは来て、金を出さずに、ただでぶどう酒と乳とを買い求めよ。 なぜ、あなたがたは、かてにもならぬもののために金を費し、飽きることもできぬもののために労するのか。わたしによく聞き従え。そうすれば、良い物を食べることができ、最も豊かな食物で、自分を楽しませることができる。」—イザヤ書 55章1~2節

預言者が指摘するように、人の心を本当に満たし、魂を養ってくれるのは、神が与えてくださる霊的な糧だけです。それは、心の奥深くまで届くような、神の恵みを味わう「最高のごちそう」のようなもの。神の善なるお方としてのご性質こそが、私たちを本当に満たしてくださるのです。

この読書プランについて

Hungry for God

この3日間の読書プランは、サミュエル・ロドリゲス牧師によって書かれたもので、霊的な渇きに焦点を当てています。私たちの魂は、定期的に満たされる必要があることを思い出させてくれます。どれほど頻繁に祈り、聖書のみ言葉を学び、暗唱し、教会の集まりに参加し、困っている人々に仕えたとしても、神にもっと近づく余地は常にあるのです。

More

この読書プランを提供してくださったCharisma Houseに感謝します。詳細につきましては以下のサイトをご参照ください。 https://samuelrodriguezbooks.com/