読書プラン情報

身代わりとなって:受難節のデボーションサンプル

In Our Place: Lenten Devotions

14日中 13日

大事件 エジプトの大きなピラミッドは、ジョサー、クフ、カフラーといったファラオの墓として建てられました。丁寧にミイラにされ、布で巻かれたファラオが埋葬されていました。しかし現在、墓室は空っぽです。イエス・キリストは最悪の犯罪者のように死刑に処され、王子のように新しく掘られた墓に葬られました。イエスの墓もまた空っぽです。しかし、ファラオとは全く異なる理由からです。ファラオの場合、墓荒らしによって持ち去られましたが、イエスは復活して自ら出ていきました。 信徒でない人にとって、イースターの出来事を信じるのはたやすいことではありません。しかし、キリスト教を教える人々が、死体が生き返ったという点ではなく、イエスの復活にはそれ以上の意味があるという点を熱心に伝えている伝えていることに驚くかもしれません。事実、救い主は本当に死んだのです。脈拍ゼロ、呼吸ゼロ、脳波ゼロ。そして事実、救い主は今も本当に生きておられます。 これは大事件です。イエス・キリストの身体のよみがえりは、イエスが地上で成し遂げたことに対する、父なる神の承認という意味があります。「キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です」(第一コリント15:14)キリストの身体がいまだ死したままだったとしたら、私たちは罪にあるままです。私たちの罪は赦されていません。私たちの身体が墓から出ていくことはないでしょう。 しかし、キリストは復活しました。それゆえ、私たちには希望があります。使徒信条にて「我は身体のよみがえりを信ず」と唱えます。そのことを信じますか?信じる者は赦され、永遠の命があります。
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この読書プランについて

In Our Place: Lenten Devotions

この読書プランでは、受難節のできごとに沿って、イエス・キリストが私たちの身代わりとして受けた苦難、十字架刑の宣告、死について学びます。

この読書プランを提供下さった、Time of Grace 教会に感謝致します。より詳しい情報については、こちらのウェブサイトをご覧ください。www.timeofgrace.org

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