アダマントー真理の石 リサ・ビビア著サンプル
人々は何世紀にも渡り「アダマス」と呼ばれる物質を探し続けました。この謎に包まれた石は、パワフルで、磁気があり、光り輝き、破壊できないほど硬い石だということです。当時の権力者たちは、その石を見つけることができたら、無敵の武器と防具を作れるだろうと考えていました。何百年もの間、勇者たちはこの魔法の石を探し求めて冒険の旅に出たことでしょう。
私はこの話しが好きです。冒険の旅と魔法の石と言うだけで何か惹きつけるものがありますよね。しかし、魔法の石を求めて冒険に行く人はもういません。今では探し求めるものが変わったのです。世界が探し求めているのは無敵の鉱物ではなく、何にも影響されない不変の真理なのです。
私たちは心の奥深くで、確固とした、揺らぐことのない何かを求めています。ポンテオ・ピラトでさえ、「真理とは何か」とイエスに尋ねました。多くの人にとって、これは難しい問いです。そして、あまりにも長い間、私たちはその答えをあえて、うやむやなままにしてきました。
今まさに、真理である神の言葉と、核心に触れる対話、核心に触れる関係、そして核心に触れるつながりを必要とする時代を私たちは生きています。私たちの世代は、畏怖の念を奪われ、往々にして虚無の追求に陥り、「真理」と称する川の中で翻弄されています。
しかし、真理は川ではありません。岩です。
これらのあらゆる混乱と紛らわしさの中で、私たちはイエスに向き直らなければなりません。イエスは私たちの岩、すなわち不動で揺るぎない「アダマント(盤石)」なのです。私たちはイエスにただ表面的に従うのではなく、イエスを堅固な土台として、イエスの内に人生を形成するように招かれています。イエスだけが、砂利道のようなこの世界における確かな足場なのです。
その足場に立って生きるとき、イエスは私たちをご自分と同じように堅固にしてくださいます。イエスこそが隅のかしら石です。しかし、イエスを隅のかしら石として、聖なる建物の一部として築き上げられた生きる石である私たちもまた、目まぐるしく変化するこの世界で翻弄されながら生きる人々の砦(とりで)や避け所となれるのです。
ですから、自分自身のためだけではなく、人生の土台を探し求めている人々のためにも、真理に堅く立つ、ということはクリスチャンの召命の一つです。
「イエスは岩である」とはあなたにとってどのような意味がありますか?あなたの人生のどのような場面において、真理が流れる川のようになってしまったと感じますか?
この読書プランについて
真理とは何でしょう。真理とは時の経過のように変化しながら流れていく川のようなものだと言う偽りが世の中にはびこっています。しかし真理とは川のようなものではなく、岩のようなものです。荒れ狂う海のようにさまざまな意見があふれる世の中で、この読書プランはあなたの魂を錨(いかり)のようにしっかりとつなぎとめ、明確な方向性をあなたに与えてくれるでしょう。
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