ピリピ人への手紙 2:1-30

ピリピ人への手紙 2:1-30 Colloquial Japanese (1955) (JA1955)

そこで、あなたがたに、キリストによる勧め、愛の励まし、御霊の交わり、熱愛とあわれみとが、いくらかでもあるなら、 どうか同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、一つ思いになって、わたしの喜びを満たしてほしい。 何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい。 おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい。 キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に生かしなさい。 キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、 かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、 おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。 それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった。 それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、 また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白して、栄光を父なる神に帰するためである。 わたしの愛する者たちよ。そういうわけだから、あなたがたがいつも従順であったように、わたしが一緒にいる時だけでなく、いない今は、いっそう従順でいて、恐れおののいて自分の救の達成に努めなさい。 あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。 すべてのことを、つぶやかず疑わないでしなさい。 それは、あなたがたが責められるところのない純真な者となり、曲った邪悪な時代のただ中にあって、傷のない神の子となるためである。あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。 このようにして、キリストの日に、わたしは自分の走ったことがむだでなく、労したこともむだではなかったと誇ることができる。 そして、たとい、あなたがたの信仰の供え物をささげる祭壇に、わたしの血をそそぐことがあっても、わたしは喜ぼう。あなたがた一同と共に喜ぼう。 同じように、あなたがたも喜びなさい。わたしと共に喜びなさい。 さて、わたしは、まもなくテモテをあなたがたのところに送りたいと、主イエスにあって願っている。それは、あなたがたの様子を知って、わたしも力づけられたいからである。 テモテのような心で、親身になってあなたがたのことを心配している者は、ほかにひとりもない。 人はみな、自分のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことは求めていない。 しかし、テモテの錬達ぶりは、あなたがたの知っているとおりである。すなわち、子が父に対するようにして、わたしと一緒に福音に仕えてきたのである。 そこで、この人を、わたしの成行きがわかりしだい、すぐにでも、そちらへ送りたいと願っている。 わたし自身もまもなく行けるものと、主にあって確信している。 しかし、さしあたり、わたしの同労者で戦友である兄弟、また、あなたがたの使者としてわたしの窮乏を補ってくれたエパフロデトを、あなたがたのもとに送り返すことが必要だと思っている。 彼は、あなたがた一同にしきりに会いたがっているからである。その上、自分の病気のことがあなたがたに聞えたので、彼は心苦しく思っている。 彼は実に、ひん死の病気にかかったが、神は彼をあわれんで下さった。彼ばかりではなく、わたしをもあわれんで下さったので、わたしは悲しみに悲しみを重ねないですんだのである。 そこで、大急ぎで彼を送り返す。これで、あなたがたは彼と再び会って喜び、わたしもまた、心配を和らげることができよう。 こういうわけだから、大いに喜んで、主にあって彼を迎えてほしい。また、こうした人々は尊重せねばならない。 彼は、わたしに対してあなたがたが奉仕のできなかった分を補おうとして、キリストのわざのために命をかけ、死ぬばかりになったのである。

ピリピ人への手紙 2:1-30 リビングバイブル (JCB)

あなたがたには、クリスチャンとして互いに励まし合う気持ちがありますか。私を助けたいと思うほどの愛がありますか。あなたがたは同じ御霊を共にいただいており、主にあって互いが兄弟であるということの、ほんとうの意味がわかっているでしょうか。やさしい心と思いやりが、少しでもあるでしょうか。 もしそうなら、互いに愛し合い、心から打ち解け合い、思いと目的とを一つにして共に働き、私を心から喜ばせてください。 自己中心であったり、見栄を張ったりしてはいけません。謙遜になって、他の人を自分よりもすぐれた者と考えなさい。 自分のことばかりにとらわれるのではなく、他の人のことにも目を向けなさい。 私たちに対するキリスト・イエスの態度を見ならいなさい。 キリストは神であられるのに、神としての権利を要求したり、それに執着したりはなさいませんでした。 かえって、その偉大な力と栄光を捨てて奴隷の姿をとり、人間と同じになられました。 そればかりか、さらに自分を低くし、犯罪人と同じようになって十字架上で死なれたのです。 しかし、それゆえに、神はキリストを高く天に引き上げ、最高の名をお与えになりました。 それは、その御名のもとに、すべてのものが天でも地でもひざまずき、 すべての口が「イエス・キリストは主です」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。 愛する皆さん。私がそちらにいた時、あなたがたはいつも、私の教えに従順に従ってくれました。離れている今はなおさら、しっかりしてください。深い尊敬の思いをこめて神に従い、神に喜ばれないことからは手を引きなさい。 神は人の心に働きかけて、従おうとする思いを起こさせ、神が望まれる行いができるように助けてくださるのです。 何事においても、不平を言ったり、疑ったりしてはいけません。 だれからも非難されないためです。心の曲がった邪悪な世の中にあって、あなたがたは神の子どもとして、汚れのない、きよらかな生活を送りなさい。世の人々の間で、いのちのことばを高く掲げ、世の光として輝きなさい。そうすれば、キリストが帰って来られた時、私はあなたがたに対する労苦がむだでなかったことを知り、どんなに喜ぶことでしょう。 あなたがたの信仰を供え物として神にささげる時、その上に、たとえ私の血を注がなければならないとしても――あなたがたのために、いのちを捨てなければならないとしても――私はうれしいのです。そして、あなたがた一人一人にも、この喜びを分けてあげたいのです。 このことは、当然、あなたがたにとっても喜びなのですから。私があなたがたのためにいのちを捨てる特権を持っていることを、共に喜んでください。 主のお許しがありしだい、テモテをそちらへ送りたいと思っています。そうなれば、彼から、あなたがたのことやそちらの様子を報告してもらい、私も元気づけられると期待しています。 テモテほど親身になって、あなたがたのことを心配している人はいません。 ほかの人はみな、自分の計画に心を奪われ、キリスト・イエスのことなど気にかけていないようです。 しかし、テモテは違います。よくご存じのとおり、まるで私の息子のように、福音の働きを助けてくれました。 それで、ここでの私の扱いがどうなるかわかりしだい、テモテを行かせるつもりです。 私も、近いうちに主がそちらを訪ねさせてくださると確信しています。 それはさておき、エパフロデトを、あなたがたのもとに帰さなければ、と考えています。よくぞ、困っていた私を助けるために、エパフロデトをよこしてくれました。彼と私は、血を分けた兄弟のように手を取り合って働き、戦ってきました。 いま彼に、そちらへ帰ってもらいます。彼は、あなたがた一同のことを思ってホームシックにかかっており、その上、自分の病気のことがそちらに知れたのをひどく気にしているからです。 病気のことはほんとうです。実際、危うくいのちを落とすところでした。しかし神は、エパフロデトをあわれんでくださったのです。もうこれ以上、悲しみが重ならないようにとの、私へのあわれみでもありました。 それで、エパフロデトを帰してやりたいと、心から願っています。あなたがたが彼に会って、感謝にあふれる姿が目に浮かぶからです。それは私にもうれしいことですし、心配も軽くなります。 どうか喜びにあふれ、主にあって迎えてやってください。また、その労をねぎらい、感謝の気持ちを表してください。 なぜなら、彼はいのちがけでキリストのために働き、今にも死にそうな目に会ったからです。彼は離れているあなたがたに代わって、私に尽くしてくれたのです。

ピリピ人への手紙 2:1-30 Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳 (新共同訳)

そこで、あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、“霊”による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、 同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。 何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、 めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。 互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。 このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。 こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、 すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。 だから、わたしの愛する人たち、いつも従順であったように、わたしが共にいるときだけでなく、いない今はなおさら従順でいて、恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい。 あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。 何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。 そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、 命の言葉をしっかり保つでしょう。こうしてわたしは、自分が走ったことが無駄でなく、労苦したことも無駄ではなかったと、キリストの日に誇ることができるでしょう。 更に、信仰に基づいてあなたがたがいけにえを献げ、礼拝を行う際に、たとえわたしの血が注がれるとしても、わたしは喜びます。あなたがた一同と共に喜びます。 同様に、あなたがたも喜びなさい。わたしと一緒に喜びなさい。 さて、わたしはあなたがたの様子を知って力づけられたいので、間もなくテモテをそちらに遣わすことを、主イエスによって希望しています。 テモテのようにわたしと同じ思いを抱いて、親身になってあなたがたのことを心にかけている者はほかにいないのです。 他の人は皆、イエス・キリストのことではなく、自分のことを追い求めています。 テモテが確かな人物であることはあなたがたが認めるところであり、息子が父に仕えるように、彼はわたしと共に福音に仕えました。 そこで、わたしは自分のことの見通しがつきしだいすぐ、テモテを送りたいと願っています。 わたし自身も間もなくそちらに行けるものと、主によって確信しています。 ところでわたしは、エパフロディトをそちらに帰さねばならないと考えています。彼はわたしの兄弟、協力者、戦友であり、また、あなたがたの使者として、わたしの窮乏のとき奉仕者となってくれましたが、 しきりにあなたがた一同と会いたがっており、自分の病気があなたがたに知られたことを心苦しく思っているからです。 実際、彼はひん死の重病にかかりましたが、神は彼を憐れんでくださいました。彼だけでなく、わたしをも憐れんで、悲しみを重ねずに済むようにしてくださいました。 そういうわけで、大急ぎで彼を送ります。あなたがたは再会を喜ぶでしょうし、わたしも悲しみが和らぐでしょう。 だから、主に結ばれている者として大いに歓迎してください。そして、彼のような人々を敬いなさい。 わたしに奉仕することであなたがたのできない分を果たそうと、彼はキリストの業に命をかけ、死ぬほどの目に遭ったのです。

ピリピ人への手紙 2:1-30 Japanese: 聖書 口語訳 (口語訳)

そこで、あなたがたに、キリストによる勧め、愛の励まし、御霊の交わり、熱愛とあわれみとが、いくらかでもあるなら、 どうか同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、一つ思いになって、わたしの喜びを満たしてほしい。 何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい。 おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい。 キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に生かしなさい。 キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、 かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、 おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。 それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった。 それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、 また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白して、栄光を父なる神に帰するためである。 わたしの愛する者たちよ。そういうわけだから、あなたがたがいつも従順であったように、わたしが一緒にいる時だけでなく、いない今は、いっそう従順でいて、恐れおののいて自分の救の達成に努めなさい。 あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。 すべてのことを、つぶやかず疑わないでしなさい。 それは、あなたがたが責められるところのない純真な者となり、曲った邪悪な時代のただ中にあって、傷のない神の子となるためである。あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。 このようにして、キリストの日に、わたしは自分の走ったことがむだでなく、労したこともむだではなかったと誇ることができる。 そして、たとい、あなたがたの信仰の供え物をささげる祭壇に、わたしの血をそそぐことがあっても、わたしは喜ぼう。あなたがた一同と共に喜ぼう。 同じように、あなたがたも喜びなさい。わたしと共に喜びなさい。 さて、わたしは、まもなくテモテをあなたがたのところに送りたいと、主イエスにあって願っている。それは、あなたがたの様子を知って、わたしも力づけられたいからである。 テモテのような心で、親身になってあなたがたのことを心配している者は、ほかにひとりもない。 人はみな、自分のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことは求めていない。 しかし、テモテの錬達ぶりは、あなたがたの知っているとおりである。すなわち、子が父に対するようにして、わたしと一緒に福音に仕えてきたのである。 そこで、この人を、わたしの成行きがわかりしだい、すぐにでも、そちらへ送りたいと願っている。 わたし自身もまもなく行けるものと、主にあって確信している。 しかし、さしあたり、わたしの同労者で戦友である兄弟、また、あなたがたの使者としてわたしの窮乏を補ってくれたエパフロデトを、あなたがたのもとに送り返すことが必要だと思っている。 彼は、あなたがた一同にしきりに会いたがっているからである。その上、自分の病気のことがあなたがたに聞えたので、彼は心苦しく思っている。 彼は実に、ひん死の病気にかかったが、神は彼をあわれんで下さった。彼ばかりではなく、わたしをもあわれんで下さったので、わたしは悲しみに悲しみを重ねないですんだのである。 そこで、大急ぎで彼を送り返す。これで、あなたがたは彼と再び会って喜び、わたしもまた、心配を和らげることができよう。 こういうわけだから、大いに喜んで、主にあって彼を迎えてほしい。また、こうした人々は尊重せねばならない。 彼は、わたしに対してあなたがたが奉仕のできなかった分を補おうとして、キリストのわざのために命をかけ、死ぬばかりになったのである。