おとめのことについては、わたしは主の命令を受けてはいないが、主のあわれみにより信任を受けている者として、意見を述べよう。 わたしはこう考える。現在迫っている危機のゆえに、人は現状にとどまっているがよい。 もし妻に結ばれているなら、解こうとするな。妻に結ばれていないなら、妻を迎えようとするな。 しかし、たとい結婚しても、罪を犯すのではない。また、おとめが結婚しても、罪を犯すのではない。ただ、それらの人々はその身に苦難を受けるであろう。わたしは、あなたがたを、それからのがれさせたいのだ。 兄弟たちよ。わたしの言うことを聞いてほしい。時は縮まっている。今からは妻のある者はないもののように、 泣く者は泣かないもののように、喜ぶ者は喜ばないもののように、買う者は持たないもののように、 世と交渉のある者は、それに深入りしないようにすべきである。なぜなら、この世の有様は過ぎ去るからである。 わたしはあなたがたが、思い煩わないようにしていてほしい。未婚の男子は主のことに心をくばって、どうかして主を喜ばせようとするが、 結婚している男子はこの世のことに心をくばって、どうかして妻を喜ばせようとして、その心が分れるのである。 未婚の婦人とおとめとは、主のことに心をくばって、身も魂もきよくなろうとするが、結婚した婦人はこの世のことに心をくばって、どうかして夫を喜ばせようとする。 わたしがこう言うのは、あなたがたの利益になると思うからであって、あなたがたを束縛するためではない。そうではなく、正しい生活を送って、余念なく主に奉仕させたいからである。 もしある人が、相手のおとめに対して、情熱をいだくようになった場合、それは適当でないと思いつつも、やむを得なければ、望みどおりにしてもよい。それは罪を犯すことではない。ふたりは結婚するがよい。 しかし、彼が心の内で堅く決心していて、無理をしないで自分の思いを制することができ、その上で、相手のおとめをそのままにしておこうと、心の中で決めたなら、そうしてもよい。 だから、相手のおとめと結婚することはさしつかえないが、結婚しない方がもっとよい。 妻は夫が生きている間は、その夫につながれている。夫が死ねば、望む人と結婚してもさしつかえないが、それは主にある者とに限る。 しかし、わたしの意見では、そのままでいたなら、もっと幸福である。わたしも神の霊を受けていると思う。
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すべての訳を比較する: コリント人への第一の手紙 7:25-40
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As New York pastor Rich Villodas defines it, a deeply formed life is a life marked by integration, intersection, intertwining, and interweaving, holding together multiple layers of spiritual formation. This kind of life calls us to be people who cultivate lives with God in prayer, move toward reconciliation, work for justice, have healthy inner lives, and see our bodies and sexuality as gifts to steward.
24日
「クリスチャンはどう生きるべきですか?」コリント人への最初の手紙で取り上げられたテーマであり、若いクリスチャンが直面する問題に実際的な配慮と修正を与えています。音声学習を聞きながら、神の言葉から選ばれた聖句を読みながら、コリント人への手紙第一を毎日旅してください。
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