フィリピの信徒への手紙 1:15-24

フィリピの信徒への手紙 1:15-24 新共同訳

キリストを宣べ伝えるのに、ねたみと争いの念にかられてする者もいれば、善意でする者もいます。 一方は、わたしが福音を弁明するために捕らわれているのを知って、愛の動機からそうするのですが、 他方は、自分の利益を求めて、獄中のわたしをいっそう苦しめようという不純な動機からキリストを告げ知らせているのです。 だが、それがなんであろう。口実であれ、真実であれ、とにかく、キリストが告げ知らされているのですから、わたしはそれを喜んでいます。これからも喜びます。 というのは、あなたがたの祈りと、イエス・キリストの霊の助けとによって、このことがわたしの救いになると知っているからです。 そして、どんなことにも恥をかかず、これまでのように今も、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています。 わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。 けれども、肉において生き続ければ、実り多い働きができ、どちらを選ぶべきか、わたしには分かりません。 この二つのことの間で、板挟みの状態です。一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。 だが他方では、肉にとどまる方が、あなたがたのためにもっと必要です。